ともいくメンバーのリレー手記 1
私を変えたある出来事
厚坂幸子
重度知的障害の長女に何とか楽しみをと思って近所のスイミングスクールに通わせたのが4才の頃。人目を忍ぶように生きていた時代だった。みんなが長女を見てるような気がして、何だか悪いことをしていると思うくらい、どこでも頭を下げて歩いていたような記憶がある。1才の長男を背中にくくりつけ、あの時代の私にしては初めて外界(シャバ)に一歩を踏み出した勇気ある行動であった。何とかスイミングの了解を得て、スクール通いが始まった。
同じクラスのお母さん達といっしょに観覧席で子供の様子を見ていたある日、お母さん達が「ねえ、あの子すごく手がかかってると思わない。他の曜日で通ってるA子ちゃんやB子ちゃんは、もう次のクラスに進級したらしいわよ。このクラスあの子がいるおかげで、泳げる回数が少ないから損よね。うちの子だって、もうちょっといっぱい泳がせてもらえば、すぐ次のクラスに行けるのにさ」と話している声が聞こえた。着替えの時、みんな子供のお世話を同室でしているのだから私がその手のかかる子の親だということはよくわかった上で話しているようだった。とてもつらくて、その場にいられず、長男を抱きしめてトイレで泣いた。とても悲しく、やっぱり生きてるのが悪いのかなと思ったりもした。でもここでやめたら、一生懸命生きてる我が子にあまりにも失礼で親の私がそんなことでどうすると、また気持ちを奮い立たせ、次の週もがんばって行ってみた。
ところが、この時我が子は1時間1回も泳がせてもらえなかった。ずっと座ったままで終わりだった。たぶん他のお母さん達がスクール側に文句を言ったのだと思う。スクール側も、やはり我が子に手がかかるので、みんなに辞められてしまうより我が子にやめてもらう方が手っとり早いと判断し、こういうことになったのだと理解した。確かに人一倍手がかかり、迷惑をかけているのは誰よりも私自身が痛いほどわかっていたので「どうして一度も泳がせてもらえなかったのですか」と言いたい思いを喉もとに押し込んで帰ってきた。その日夕食、いつも食欲だけは人一倍ある我が子が一口も食べなかった。次の日の朝も、昼も・・・。私は療育センターの先生にこの一連のことを話してみた。すると「心労ですね。水着を着て泳げると思っていたのに、プールを目の前にして一度も泳がせてもらえなかったなんて。自分が無視されたこと、ちゃんとわかってるんですよ」と言われ、びっくりした。
「そうだったのか・・・」食べることを拒否してまで抗議した我が子を目の前にして、私は自分がどんな態度でこれから生きてゆけばいいのかさっぱりわからなくなってしまった。娘の意志をそのままスクールに伝えて、はたして理解してもらえるだろうか。娘の気持ちと社会の厳しさに胸がはちきれそうだった。娘をこのままがんばって行かせて強引に押し通しても、相手が拒否の態度である以上、娘はそれを勘づいてしまうであろう。これ以上あの子を悲しませることはできない。結局我が子に楽しみをと願ったスイミングは悲しみのスイミングになってしまった。しかし、せっかく入れてもらったのに辞めるとも言えず、ずっと欠席をして過ごしていた。
ある日、近所のスーパーで「あら、スイミングでいっしょだった方でしょ。最近どうしたの。ちっとも見かけないので具合でも悪くなっちゃったのかなと思っていたのよ」と知らない人に声をかけられた。私はほとんど回りのお母さんの顔を見ないようにしていたので一人も顔を覚えていなかった。急に声をかけられびっくりしたが「えー。皆さんにご迷惑をかけてるみたいなのでもう辞めようと思ってるんです」と答えた。
彼女はしばらく黙っていたが、改めて私の目をしっかり見て強い口調でこう言った。「あなたね、自分の子に障害があるからだと思ってない?私もみんなお母さん達がいろいろ言っていたの知ってるわ。でもね、世の中ってあんなものなのよ。私達の子だって、あの子がいるといいとか悪いとか、そんな中で生きてるのよ。障害のせいにしないで。子供を守れるのはお母さんだけよ。あなたがそんな弱気でどうするの、しっかりして。私あなたが下のお子さんおんぶして通っている姿を見て、何て素晴らしい人なんだとずっと思ってたの。いろんな人の目や心に思うことあるだろうに、それでも通っているあなたに私勇気づけられる思いだったのよ。声を出さなくても影で応援してる人はたくさんいるのよ。人の言うことなんて気にしちゃダメ。障害なんて問題じゃないのよ」と。私はとめどもなく流れる涙を拭うこともせず、その人に抱きついてオイオイ泣いた。あの言葉、あの口調、あの真剣な眼差しを私は今でも忘れない。その後曜日を変更して優しい先生にめぐり会え、少しずつみんなに理解されながら、今はどの先生でもいいですよと言ってみんなが声をかけてくれるまでになっている。今まで私はたくさんの涙を流してきたけど、涙の数だけたくさんの喜びと優しさに出会い、生きる力を戴いてきたように思う。何よりこの弱い私を一番支えてくれたのは「障害のある我が子」であった。彼女はほんとに強い。あの自然体の強さが私は大好き。「障害のせい」ではなかったとつくづく思う。生きてゆくことはそもそも障害だらけ、何かのせいにするのは往々にして自分のせいが多いのかもしれない。
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